KARUNA TI LA
カルナティーラ
ブログ
天災というもの
前回の卯年で東日本大震災があって、今回の卯年(節分までは前年)で能登の大地震、どちらも未曾有の大災害となってしまいました。
連日のニュースには胸が痛みます。
なんでこんなめに・・・となるのも最もです。
自然界は非情です。
大地震、水害、噴火、台風、とりわけ日本列島は災害の集中する所ですから、どこで何が起きてもおかしくありません。
私はこのように教わりました。
「天災には個人の運気は関係ない。個人の運気が良かろうが悪かろうが、良い人だろうが悪い人だろうが、その地域にいる人に等しく降りかかるから怖ろしい。」
占いで災害が予測できないのか、という疑問もありますが、これは難しいです。
なぜならば天の事だから。
私たちは人事を占っており、天の事は自然界の範疇ひいては神仏の領域です。
天の采配はどうにもなりませんし、わかりません。
たゆまず研究はされていて、後付けの理由や解釈はいくらでもできます。
兆しを掴む事はできます。
しかし、正確に、ピンポイントで、毎度確実に、とはいきません。
天の事は人間が見れる範疇を超えた所にあります。
だから、どうしようもない。
今の時点で、それを見る技術が私たちにありません。
占いなんてそんなもんかと言われればそうかもしれませんが、では最先端の科学でも地震の予知は難しく、天災というものがいかに人間の叡智を超えた所にあるかは判然としていると思います。
災害の後には必ず、○○が予言していたという話題が出てきます。
真偽はさておき、だからといって救ったわけじゃない。
むしろ結果を見たら、無力感で虚しくならないのでしょうか。
当たった!と言ってたって、多くの人が犠牲になっていたら、後から何の意味があるのでしょう?
災害には、日ごろからなるべく備えるしかありません。
生き延びれるかどうかはその場の運として、被害や避難の想定と、備蓄をする事が準備の第一歩では。
大地震が起きたら、我が家の場合は都会なので、火災と古いビルの倒壊が必ずあります。
下町に住んでいるので、絶対倒れそうな古いビルがいくつもあります。道も細いし出火したら超危険地帯。
家に残れるか、放棄するか、どのルートでどこへ行くかとか、いくつかパターンを想定しています。
出先だったらそこでベストを尽くすしかありませんね。
常に何が起きるかわからない自然に対して謙虚でいなければ。