KARUNA TI LA
カルナティーラ
ブログ
金持ちの不幸
前回の続きのような話です。
ときどき、莫大なお金を稼いだ家で、信じられないような不幸が起きる事があります。
金運に偏って取り過ぎた事で、いろいろなひずみが生じたり業を溜めて、犠牲を出してしまう事があるのです。
これを回避するには、稼いだお金を世の中が良くなるような事にまわしていく事で、ひと昔前の著名な実業家は教育や文化の振興に尽力した方が多いのも頷けるところです。
ノブレスオブリージュの精神もよく言ったものだと思う。
結局は、私利私欲のためだけに生きる人間は、最終的に誅されるという事だと思います。
本人でなくとも、家族が犠牲を払わされる場合もあり、そういうのはお金をたくさん持っていても寂しい家です。
たくさん稼いだら適度に世の中に還元するのが大事。
ちなみに貧乏もいけなくて、貧すれば鈍するです。
天部のお経には、死苦よりも貧苦がいけないと書いてあるし、貧乏は禍の元なので哀れと思って、天部が福徳を授けてくださるのです。(心正しく生きていれば)
現実的な豊かさと道徳心のバランスをとりながら、その中庸を目指していくのがこの世の理想でしょうか。
ここ数日で、浅草の資産家の家で、幼い子が犠牲になった痛ましい事件がニュースになっています。
そこの家のゴミ屋敷の中の写真に、仏壇の写真がありました。
仏壇というより、木の箱に位牌を3つ横に並べてあるだけ。
拝むための用具は何も置いていない、立派な位牌だけがただ陳列してある状態でした。
ここまで殺風景なのは初めて見ました。
本尊仏もいないから仏壇でもなく、「位牌檀」なのですが、祀るのでもなく並べてあるだけだから、本当にただのモノ。
一体お金だけはたくさん儲けて、人として大切な何を得た家なのでしょうか。
殺風景な位牌を見た時に、全てが推し量られました。
この不幸は一朝一夕に醸成されたものではないのです。