KARUNA TI LA
カルナティーラ
ブログ
紙一重
占い好きで私をこの道へ導いてくれた祖母が昔言っていた事ですが、「新聞に出ていた犯罪者の姓名判断を調べたら、すごく良い名前だった。名前はアテにならないわね。」と。
祖母はアマチュアですが、ノートにびっしり書き込んで勉強するくらいの占い愛好家でしたから、そんなに適当な姓名判断をやったわけではないと思うので、おそらく字画だけは本当に良い名前だったのでしょう。
私も犯罪者の星を研究しているのですが、かなり良い星に出くわすことがあります。
普通にいったら社会で良いほうへ活躍するような。
こういうのは、中途半端な星とか、普通の星ではなくて、特殊な星に振り切ってる時に出る気がします。
良い方へ出るか、悪い方へいくか、紙一重な感じがします。
星以外の要素がいろいろ絡んでいるのは間違いないので、それを紐解くのは生年月日から運命を分析する「流年盤」ではなく、占うための「鑑定盤」になります。
「鑑定盤」がないと、結局のところ物事の判断がつきません。
あとは会話と観察です。
回を重ねたほうが、見えないものが浮かび上がってくる事があります。その人やその家の因縁的な物が見えてくる時があります。
わたしの声
最近あまり言われなくなりましたが、以前は「声を聞いてビックリした!」とか「もっと怖いかと思った」て言われる事がまあまあありました。
そんなに難しい顔してたのかしらん?(笑)
少し前に知人に「声と見た目が違う不思議な生き物」みたいな事を言われて、失礼だな~(笑)と言う事もありました。
見た目はその辺にいるオバサンですが、声がわりと高いみたいです。
アニメ声ではないけれど、若い時は声優になったら?とか冗談で言われる事も時々。
なろうと思ってなれるものではないと思いますが。
自分の耳で聞いてる自分の声は、むしろちょっと低めなので、勉強の時の録音とかで自分の声を聞くとかなり違和感が。
だいぶ慣れましたけど、若い時はあんまり自分の声は好きではなかった。
これで見た目もかわいかったら、一致してて良かったのかもしれないけれど、世の中そうは問屋が卸さないものだ。
ただ声はいいとして、滑舌がちょっと悪いので、家族に怒られる事があります。
喋る時はなるべくはっきりした言葉にするように気をつけます。
かしこ。
恐怖は蘇る
タイトルはとても怖いけれど、すごいくだらない話なんですが。
昔のブログの整理をしていた時に、昔書いたトナラーの記事を読みまして。
それは、本当にガラガラの電車に乗った時に、一番端の席に座っていたら、後から来たおばさんが私の隣にピッタリ座ったという事件があったのです。
電車はガラガラなんてものではない、1両に私の他に2人乗っているかいないかのレベルで過疎。
他の2人も遠すぎて視界に入るかどうかという状態で、隣にピッタリ座られる事の恐怖。
いま思い出しても怖いこと。
どこもかしこもガラガラの座席なのに。
あれは何だったんでしょう。
希少本が出た
とっくに絶版で滅多に出回る事もない古い本を探しに、時々ネットもチェックするのですが、いまヤフーのオークションで望月先生の本の希少なものが何冊か出ています。
望月治先生は私の大先生です。
いまオークションに出ている本は、私は持っているので購入しませんが、相当なレベルで貴重な本です。
ごくたまにこういう事がありますね。個人の蔵書から出てきたりとか。
お値段も10万近くから入札スタートのようです。
そもそも入手困難ですので、10万でも安いかも。
私たちにとっては、貧乏でもへちまでも、喉から手が出るほど欲しい本が市場に出れば、あんまり値段は関係ないのです。
とはいえ無い袖は振れませんが。
ただ、貴重だからといって真価のわからない人が買っても勉強の道にある人間が困るので、然るべき人の手に渡ってほしい。
余計なお世話ですが。
望月先生の本はハッキリ言って難しいので、貴重な本になればなるほど、ちょっとやそっとの勉強をかじってるくらいでは歯が立たないので、宝の持ち腐れになってしまうと思う。
占い師人生の傍らに置いて、何度も何度も読み返していく本ですから。
そのくらいの覚悟で購入すれば、大きな宝になるのではないでしょうか。
金持ちの不幸
前回の続きのような話です。
ときどき、莫大なお金を稼いだ家で、信じられないような不幸が起きる事があります。
金運に偏って取り過ぎた事で、いろいろなひずみが生じたり業を溜めて、犠牲を出してしまう事があるのです。
これを回避するには、稼いだお金を世の中が良くなるような事にまわしていく事で、ひと昔前の著名な実業家は教育や文化の振興に尽力した方が多いのも頷けるところです。
ノブレスオブリージュの精神もよく言ったものだと思う。
結局は、私利私欲のためだけに生きる人間は、最終的に誅されるという事だと思います。
本人でなくとも、家族が犠牲を払わされる場合もあり、そういうのはお金をたくさん持っていても寂しい家です。
たくさん稼いだら適度に世の中に還元するのが大事。
ちなみに貧乏もいけなくて、貧すれば鈍するです。
天部のお経には、死苦よりも貧苦がいけないと書いてあるし、貧乏は禍の元なので哀れと思って、天部が福徳を授けてくださるのです。(心正しく生きていれば)
現実的な豊かさと道徳心のバランスをとりながら、その中庸を目指していくのがこの世の理想でしょうか。
ここ数日で、浅草の資産家の家で、幼い子が犠牲になった痛ましい事件がニュースになっています。
そこの家のゴミ屋敷の中の写真に、仏壇の写真がありました。
仏壇というより、木の箱に位牌を3つ横に並べてあるだけ。
拝むための用具は何も置いていない、立派な位牌だけがただ陳列してある状態でした。
ここまで殺風景なのは初めて見ました。
本尊仏もいないから仏壇でもなく、「位牌檀」なのですが、祀るのでもなく並べてあるだけだから、本当にただのモノ。
一体お金だけはたくさん儲けて、人として大切な何を得た家なのでしょうか。
殺風景な位牌を見た時に、全てが推し量られました。
この不幸は一朝一夕に醸成されたものではないのです。