KARUNA TI LA
カルナティーラ
ブログ
我流はほどほどに
先日とても立派な神棚を見せて頂いたのですが、確かに棚はそんじょそこらにないくらい立派でしたが、惜しいと思ったのは、祀り方が我流でいろいろ不足がありました。
せっかくの立派な神棚、もっと素晴らしく出来るのにと思いました。
信仰が篤いのは結構ですが、ちょっと全体的に偏りが強いのです。
神棚に定番で置くもの、全て意味があって、全て揃えて五行の完成を見るので、欠けてもいけないし、逆に関係ないものをゴチャゴチャ置くのもいけません。
とにかくスッキリ、自分で見ても「うちの神棚はなんて清々しく高貴なんだろう」と思えるくらいに設えたら万歳。
こういう事に関しては、我流はやっぱり程々にしないと、なんだかおかしな事になってしまいます。
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名は体を表す
名前の話の続きになりますが、先日生徒さんと話をしていて、今の名付けは良くない名前が多いねという話をしました。
私が基礎を教わった頃からその傾向はあり、当時の先生は「命名」とは親の魂を込めて子に名を与える事。
一方、今の名付けは「命名」ではなく「付名」。
犬猫と同じ。ただ付けてるだけ。
と、かなり手厳しい事を仰っていました。
これは言える面もあると思います。
私が気になるのは、とにかく最近は空虚な名前が多い事です。
実態のない、音の響きとかイメージだけで付けたような名前。
日本は言霊の国ですから、こういった事が続けば国の力も衰えるでしょう。
字画なんかどうでもいい人でも、名前を付ける前に、語源の事典や漢語事典などを開き、つけようとしている字に不吉な意味が含まれていないかくらいは見てほしいです。
使われやすい字でも、もともとはこんな意味があったのかと驚かれる事もあるでしょう。
専門家の名付けは適当にやっているのではなく、「命名」を果たすべく、そのお子さんが幸福な人生を送れるように祈りを込めて行われています。
不思議なリンク
昔から言われていて、実際に体験してやっぱり不思議だなと思う事は、同じ日や同じ月に、同じ相談内容がくることです。
同日に同じような星の人が来る事もよくあります。
例えば、一白のお客さんばっかり来る日とか、特殊な星のお客さんばっかり来る日とか。
加えて、名前が良く似た人も一定期間に被る事が多いのが不思議です。
苗字に同じ字が入ってるお客さんが来る日とか。
下の名前より苗字のほうがよくリンクする気がします。
それだけ、名前も運勢というものがあり、自然界の動きに影響されて動いてるんだろうと思います。
やはり、名前は良いに越した事はないですね。
帰られたお地蔵様
今日初めて、先生が野辺のお地蔵様の撥遣供養をされるのを見ました。
終わった後、石は寝かせてお迎えを待ち、お地蔵様そのものは天に帰られました。
最後に私も『(今まで)ありがとうございました。』と合掌しました。
いろんな思いに応えて、この世に来ているお地蔵様、最後は感謝の心でお見送りしたいものです。
鎮魂のためや、禍を抑えるためのお地蔵様だと、そう簡単に動かすべきではないと思いますが。
家に神仏に関するものを迎える方は、最後の最後まで責任をもって、最後どうするか処遇を考えてからお迎えして頂きたいです。
時間が経って、粗末にする事だけは絶対にやめてほしいです。